アメリカ暮らしのほっじぽっじ

手帳とか本とかゲームとかいろいろ

ひっこし荷物

11月の頭に引っ越しをした。

 

業者には依頼せず、小さなトラックをレンタルし、夫の友人二人の手を借りて自力で引っ越した。家族友人の引っ越しを手伝うことはよくあるらしい。夫は友人の両親や父親の同僚の引っ越しを手伝ったことがあると言っていた。謝礼は夕食をごちそうすること。ちょっといいお気に入りのレストランをいくつか考えていたのだが、予定が押してしまい、残念ながら今回は別のレストランになった。近場だったこともあって、オタク二人暮らしの引っ越しで、夕食代を含めて350ドルほどで収まった。

 

夫の友人たちとはいつもゲームやゴジラの話をしているし、私がゼルダのサントラを持っていることも、ヤドンのぬいぐるみを集めていることも知っているから、引っ越し荷物を預けることに抵抗はない。けれど夫の家族は私の趣味をまだうっすらとしか知らない。荷物の中身をうっかり見られてドン引かれたらどうしよう、と思っていたので、手伝いが友人たちだけと決まった時には少しほっとした。

 

新しく住むのは借家だ。一軒家に住むとなると避けられないのが、家族友人を招いてのホームパーティ。今まではアパートが狭いからと言い訳できたが、それももう無理。夫の家族は私たちがどんな家に住み始めたのか興味津々だ。家中に散らばった10匹以上のヤドンたちを、クローゼットに閉じこめるのか、はたまたパーティに参加させるのか。いっそヤドン探し大会でも開催してやろうかしら、なんて考えている。

 

(というか隠しきれないかもしれない。)

 

 

 

箱が好き

なぜか小さな頃から箱が好きだった。クッキー缶やお菓子の空き箱をとっておいて、お気に入りの小物や文房具を出し入れしたり、小さなぬいぐるみの部屋を作ったりして遊んでいた。図画工作や美術の授業は嫌いだったけれど、飾りのついた箱を作る授業だけはわくわくしたのをよく覚えている。アメリカに来てから箱好きの趣味が再発していて、お店で箱を見るとうずうずする。量販店でも可愛らしいクッキー缶はよく見かけるのだが、多少値段が張るのでそうそう買えない。

 

そんな私の箍が外れるのが「アンティーキング」に行くときだ。

 

私が住んでいる地域には中古品を売る店をよく見かける。Consignment storeとかAntique storeという言葉で検索をかけるとたくさん出てくるのだが、リサイクルショップとアンティークショップ、どちらの日本語が合うのか今でも迷っている。ある店は年代物の骨董品が多くてアンティークショップという言葉を使いたいし、別の店はリサイクルショップと呼ぶ方がいい気もする。両方混ざっているパターンもある。こういったお店をハシゴしながらショッピングすることを「アンティーキング(Antiquing)」と呼ぶらしい。どれほど一般的な言葉なのかは謎。

 

アンティーキングはここでの暮らしの楽しみのひとつだ。引っ越してきてすぐの頃は、こういったお店で見かけるヴィンテージの品物があまりにも可愛らしくて、節操なく買っていた。溢れかえった物の中で我に返った今では、普段使いに耐えられる程度に状態がいいもの、と自分に言い聞かせて買うようになった。だが中古の缶箱などは2、3ドルで買えてしまうことも多く、いまだに1ドル100円で脳内計算してしまうせいで、財布の紐は緩みっぱなし。日本のかわいい文房具を思うように買えない鬱憤を、ここで晴らしている気もする。

 

そして先週末の収穫。

黄色の缶箱は実はオルゴールなのだが、値付けの際に気づかれなかったのか、2ドルで売られていた。赤い缶箱と木箱が3ドルで、木箱は元が紅茶のギフトセットだったらしく、中が仕切られている。

 

アンティーキングに行くと、箱以外にも、かっこいい〜!!とか、あ!あつ森で見たことある!!と思うものがたくさんある。家族や友人を連れて行くならどのお店かなぁとか、こういう品物を集めた雑貨屋さんを日本で開いたら楽しそうだなぁとか、いろんな妄想が膨らんで、木箱にマスキングテープを入れながら、やっぱりにやにやしてしまうのだ。

 

 

 

 

つれづれ 1

 

一昨日の朝、私がまだ寝ていた時間、雪がちらついていたと夫から聞いたときには愕然とした。まだ10月だ。冬が来るには早すぎる。というか冬にはまだ来てほしくない。

 

ニューハンプシャーの冬は暗いし寒いし長い。すでに冬用コートにもお世話になった。秋物コートはもう出番がないかもしれない。年が明ければまたマイナス20度まで下がる日もあるだろうが、温暖化の影響か、昨シーズンは寒い割に雪の量が少なく、ただただ灰色の景色を眺めてすごした。

 

鍋で気分を盛り上げるにも限界がある。ここに引っ越してきてから、以前にも増して冬が嫌いになった。

 

一昨日の夜、ダウンジャケット、ニット帽、手袋の完全装備で「さむっ・・・・・・・さむっ・・・・」とぼやきながら日課の散歩をこなしていたら、昨日の朝には氷点下まで気温が下がった。冬用の厚手のブランケットを出そうか迷っていて、天気予報を見たら今日の最高気温は21度。なぜ。

 

フェアリーの仮装をしたい子どもたちには、この気温のほうがいいだろうけど。秋物コートも着られるけれど。一度暖かさが戻ると、その後の寒さが余計につらい。

未知の料理のお味はいかが

夢の中で、夫が菓子パンほどの大きさのアリの唐揚げを食べていた。

 

アメリカに引っ越してからやたらと虫が出てくる夢を見るが、そこに夫が登場するのは初めてだ。夫はニューハンプシャー生まれニューハンプシャー育ちのアメリカ人。夫の家族は魚介類すらほとんど食べないが、夫自身は食に関する冒険心が旺盛だ。日本に行けば刺身も馬刺しもおいしく食べるし、私の実家ではおせち料理もうまいうまいと食べていた。狩猟に同行してリスの肉を食べたという話も聞いたし、大学時代、何かのイベントで虫も食べたらしいので、あながち荒唐無稽な夢ではない。(何の虫かは忘れたがおいしかったそうだ。)

 

それでもこんな夢を見たのは、おそらく夫と私が最近見ている『ダンジョン飯』というアニメの影響だろう。妹を救うため、金のない冒険者一行が、道中襲いかかる魔物を食糧にしながら地下ダンジョンを進んでいく物語だ。主人公のトールマン、ライオスは、これまで心に秘めてきた「魔物を食べてみたい」という欲望をここぞとばかりに発散させる。これに拍車をかけるのがドワーフのセンシで、長い自給自足のダンジョン経験を活かし、どんな魔物でもおいしく調理してみせる。その味は、最初は強く拒絶していたエルフのマルシルやハーフフットのチルチャックの警戒を解いてしまうほどだ。

 

料理好きで、『指輪物語』はじめトールキン作品が大好きなファンタジーファンの夫には、刺さるものがあったらしい。センシが作る料理を見て、日本で食べたあれはおいしかったとか、これはまだ食べたことがないから食べてみたい、とか他愛のない話をしながら、毎晩1、2話ずつ楽しんでいる。私は、どんなに気色悪い魔物でもごちそうに変えるセンシを、尊敬のまなざしで見てしまう。人が嫌悪感を抱く素材を使い、その味で感動させるというのはそうそうできることではないのだ。

 

ちょっとした好奇心で、夫の親族の集まりにたこ焼きを持っていったことがある。7月4日の独立記念日のことで、親族15人程が夫の祖母宅に集まり、庭でパーティーをするのが恒例だ。昼すぎ頃に集合すると、外置きのグリルで夫の父がホットドッグやハンバーガーのパテを焼く。それぞれが持ち寄った料理をつまみながら、ゲームをしたり、互いに近況報告をする。夜9時頃、やっと暗くなるので、各家庭から持ってきた花火をこれでもかと打ち上げる。通りすがりの車がクラクションを鳴らして歓声を上げ、近所の犬が花火に驚いて吠え立てる。1時間ひたすら花火を楽しみ、夜10時に解散する。

 

前述したように、夫の親族は食に関しては保守的なので、集まりがあると私たちはバナナブレッドやブラウニーを焼いて持っていく。日本食を作って持っていくことを何度か夫に相談したが、誰も手をつけず、私が落ち込むのを心配したようだ。食べたければ食べる、食べたくなければ食べない、おいしかったらおいしかったと言うし、そうでなければ自分の口には合わなかったと言う、夫の家族はそんな感じなので、私が日本料理を持って行っても誰も手をつけない、というのはあり得る話だ。

 

結婚して2年が経ち、私自身に少し精神的な余裕ができたこともあるのだろう。どうしても試してみたくなって、今年の独立記念日の集まりにたこ焼きを持っていった。夫の父が、ポルトガルで大繁盛のタコ料理レストランを見かけて以来、タコに興味を持ったことは聞いていた。この日はたこ焼き好きな夫の友人二人が参加することもわかっていたし、たこ焼きならば屋外のパーティにも出しやすい。材料を揃えて自分で作るのは大変だが、それなりにおいしい冷凍たこ焼きが近くのアジア食材店で手に入る。ソースとマヨネーズ、鰹節も同じ店で買える。もし誰も手をつけなくとも、私と夫、友人二人で食べればいい。準備万端だ。

 

からっと晴れた7月4日。青々とした芝生にアウトドアチェアが円を作り、少し離れた日陰には料理をのせた長テーブルがセットされている。ハンバーガー、ホットドッグ、デビルドエッグ、ソーセージ、サラダ、ブラックビーンコールスロー、チリコンカン、野菜スティック、サルサにチップス、見慣れた料理の中に、夫と二人、たこ焼きをのせた大皿をそっと紛れ込ませる。風に揺れる鰹節とソースの香りが異彩を放つ。

 

この得体の知れない食べ物に対する家族の反応は、こう言ってはなんだが、見ていてとてもおもしろかった。友人二人が喜んで食べるのを、夫の祖母と大叔母が疑わしげに見ている。タコのお寿司を食べたことがあるよ、と言う夫のステップシスター夫婦だが、たこ焼きには食指が動かないらしい。ノリノリでたこ焼きを取ってきた夫の父は、口に入れてしばらくすると微妙な顔つきになった。その奥さん(私の夫のステップマザー)もいつもの穏やかな笑顔が消えて無表情になっている。なんだかんだといつも私に話しかけてくれる夫の大叔父も、少しすると静かになった。夫の友人が立ち上がってたこ焼きのおいしさを力説するが(この友人、魚介類は全部嫌いだがたこ焼きだけは大好き、という不思議な好みをしている)、若者の好みはわからん、というのが大方の意見だというのが表情から見てとれた。味は好きなんだけど、タコの食感がちょっとね、と奥さんが少しすまなそうに笑って言って、夫の父と大叔父がうなずいた。

 

たこ焼きファンを新たに開拓できなかったのは残念だ。いつか新鮮なタコを手に入れて自作し、再挑戦しよう。そう夫に話しながら、私は次の集まりに持って行けるようなメニューを考え始めていた。鶏の照り焼きか、唐揚げなんてどうだろう。

 

そういえば鶏の唐揚げが食べたくなって、揚げ物をするのが怖い私はオーブンで作ってみたことがあった。インターネットで見つけたレシピを参考にしたのだが、何かを間違ったらしい。なんというかあまり食べたくない見た目の物体を生み出してしまった。夫に「腐りかけのモンスター肉みたいな晩ごはんができた」と写真付きでメッセージを送ったら、大笑いの絵文字が返ってきた。

 

その夜、私のオーブン唐揚げは「見た目はアレだけど、味はすごくおいしい」という評価を得た。だんだん上手に作れるようになったが、最初のインパクトが強すぎて「鶏の唐揚げ」の名前は覚えてもらえず、その後リクエストは「モンスター肉食べたい」になってしまった。だが鶏肉ならば夫の家族も食べやすいはず。「モンスター肉を持っていくのはどうだろう」と提案したが、「せっかくならもっと日本っぽいものを持っていこうよ」と却下された。夫自身、家族が見慣れぬ食べ物に当惑するのを面白がっているに違いない。とはいえ、唐揚げとアメリカのフライドチキンは味つけが違うわけだし、ちゃんと油で揚げたモンスター肉を持って行くのが私の密かな目標だ。

 

 

 

毎年独立記念日に参加するジンジャーブレッドマン花火。

花火を一通り吹き上げると、しばらく沈黙したのちに体内から発火、目を赤く爛々と輝かせながら自らを燃やし尽くすというホラーな子。仕様なのか偶然の産物なのか謎。

 

 

 

 

 

 

ハロウィンとロブスター

ハロウィンまであと1週間。

 

10月に入ると街角にはかぼちゃの飾りが増え始め、31日のハロウィン当日に向けて盛り上がりを見せる。さまざまな催しがあるが、やはりトリック オア トリートがいちばんハロウィンらしい光景だな、と思う。

 

子どもたちが近所の家々を訪れてお菓子をもらうトリック オア トリートは、私が暮らすニューハンプシャー州では町ごとに日時が設定される。31日のハロウィン当日に行う町もあれば、直前の週末に行う町もある。時間は夜6時から8時など、子どもたちが暗い夜歩きを楽しめる、ただし遅くなりすぎない時間帯に2時間ほど設定される。トリック オア トリートを行う家は玄関にランプを灯したり、庭にテーブルを出して子どもたちを待つ。玄関先にお菓子を入れたカゴを出しておく家もある。

 

私の住むアパートの近くに、ハロウィンに全力で取り組む家の集まった一画がある。その静かな住宅街には、無数のカボチャと共に、墓石や骸骨、宙に浮く魔女が出現し、トリック オア トリートの時間になると、住人は玄関先にランプを灯して、お菓子を準備する。そして、普段はほとんど人のいない道路に、子どもたちと付き添いの大人たちがグループになってやってきて、懐中電灯やおもちゃのランプを揺らしながら、あちらこちらと巡っていく。

 

トリック オア トリートの夜、骸骨や魔女が覗く家々を横目に、夫と私は、いつもの散歩コースをいつもより少しゆっくり歩く。途中、住人たちとあいさつを交わす。子どもたちの訪れを待ちながら、たき火の側でビール片手に隣人と談笑する、大人には大人の楽しみがあるようだ。ときどき、フェアリー、ルーク・スカイウォーカーダース・ベイダー、炭治郎、ミスター・インクレディブル、ヨッシー、レディ・バグ、スパイダーマンティラノサウルスたちとすれ違う。夜の闇、揺れ動く灯り、子どもたちの声。これが私にとってのハロウィンだ。

 

そして私は、2年前のトリック オア トリートで見かけたある一家のことを思い出す。

 

最初に目についたのは母親だった。白いコックコートとコック帽を身につけ、全身シェフの格好で、大きな寸胴鍋を抱えている。ここのトリック オア トリートで大人の仮装を見るのは少し珍しい。トリック オア トリートはあくまでも子どもたちのもので、大人が仮装を楽しむのは、パブやレストランが開催するハロウィンパーティや個人が企画するホームパーティだ。

 

さて、シェフの仮装をした母親の隣を歩くのが父親なのだが、ゴム長靴に撥水加工の作業着という出立ちだ。仮装というには地味だし、普段着にも見えない。なんとも微妙な装いで、小さなカートを引いている。そしてそのカートの中で、辺りを見回し、笑い声を上げているのは、赤いロブスターの仮装をした男の子。

 

そのとき夫と私は、母親が抱える寸胴鍋の中で、もぞもぞしている何かに気付いた。

ロブスターの格好をした、さらに小さな男の子。寸胴鍋の中の赤いロブスター。

 

獲ってきて茹でたのか!!!

私たちは、この4人家族が作り上げたストーリーを理解した。

 

ロブスターはエビと同じで、茹でると暗褐色の体が鮮やかな赤に変わる。父親の仮装はロブスター漁師なのだ。シェフの母親が茹で上げた、真っ赤なロブスターこそ子どもたち。それぞれ父親が引くカート、母親が抱く寸胴鍋の中ではしゃいでいる。

 

ゆらゆら揺れるハロウィンの灯りの中で、一際輝くロブスター一家は、いろんな人に話しかけられていた。それはそうだろう。なんていったって漁師にシェフにロブスターだ。ロブスターの仮装は珍しくないが、茹でられるまでの過程を見たのは初めてだ。

 

今年のトリック オア トリートは31日に行われるらしい。ロブスターを超える仮装はあるのだろうか。望み薄とは思いつつ、年に一度の夜を楽しみにしている。

 

ちなみにお隣のメイン州はロブスターの名産地。

ボストンの観光地でも見かける「ロブスターロール」は、ロブスターの身をこれでもかとパンにはさんだこの地域の名物だ。我が家では年に一度、贅沢をして食べる夏の味。

 

我が家の茹でロブスター(と神経細胞

 

Happy Halloween!

 

 

 

 

お薬手帳に単語帳

どんなに英語を勉強して、よし、いけるぞ、と根拠のない自信を手に入れても、割と定期的にその自信は粉々になる。そのきっかけはホームパーティだったり、スーパーでのちょっとした会話だったり、さまざまだけれど、最近私が苦戦しているのが病院だ。

 

これまでの人生、健康そのものだった私だが、この夏から体調を崩して病院に通うことになった。あらかじめ症状をどう英語で説明するか調べ、病院に向かう車の中でアメリカ人の夫と練習もした。

 

しかし実際に診察を受けたら、最初の質問が想定外で思考停止。「契約している保険会社は?」「処方された薬を取りに行く薬局の名前は?」どちらも答えられる事柄なのに、頭の中はパニック。その後は病歴や服薬歴を聞かれるけれど、薬の名前なんてもはや呪文。臓器や器官の名前など宇宙の彼方。

 

診察後も恐怖は終わらない。電話がかかってくるのだ。検査結果の通知、処方薬の変更、服薬時の注意事項、追加検査、次回の診察予約、などなど。最初に本人確認で誕生日を聞かれるのだが、初めて電話に出た時は、(は?誕生日????)とすでにここでパニックだった。

 

ああなんかもう全然英語わからないんだなぁ私・・・・・とひとしきり落ち込んだ後は、基本、手帳でなんとかしようとするタイプの人間なので、病院手帳を作ることに。そういえば書店で見かけて衝動買いしたField Notesがあるじゃないか。

 

Field Notesはアメリカのノートブランドで、大型書店に行くと時々見かける。パスポートくらいのサイズで、3冊セットで売っている。いろいろなデザインがあって収集欲をそそられるので、アメリカ版ロルバーンと私は呼んでいる。

(絶妙にトラベラーズノートパスポートサイズからはみ出す大きさ)


うきうきしながら新しいノートをおろす。病院の名前、診察してくれたドクターの名前、処方された薬、勧められた薬、受けた検査、関連する英単語、症状を説明する単語を書いた上で、できる限り頭に叩き込む。

 

よし今度こそ、と臨んだ次の診察。薬の名前は、成分名とブランド名を両方しっかり書いておいたおかげでなんとかなった。(そう、必ずしもパッケージに書いてある成分名をドクターが言っているとは限らないのだ。ややこしい!)

 

だがそうすんなりとは終わらない。前回は出てこなかった単語や検査の名前がこれでもかと登場し、結局夫に助けを求めることになる。達成感と敗北感を両方抱えつつ、家に帰って、先ほど聞いた単語を書いていく。お薬手帳というより単語帳になってきた。

 

病院に行くといつも苦労するけれど、どこに行っても病院や薬局で働いている人たちは優しい。私がどれほど拙い英語を話しても、私が理解するまで説明してくれる。これだけ忍耐強く対応してもらえることに、私はいつもぐっときてしまう。日本を訪れた外国人観光客が日本人の対応に感動するのもこんな感じなのかもしれない。母国語の通じない土地で受ける親切には100倍の威力がある。

 

ノートを持って病院に行く。発音が通じない薬の名前はノートを見せて切り抜ける。綴りが想像もつかない薬の名前は、ドクターにノートに書いてもらう。全然スマートにいかない。「アメリカで暮らすなんてすごいねぇ」と言ってくれる親戚の夢は壊してしまうけれど、私のアメリカ生活はだいたいいつもこんな感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年の手帳ノート総まとめ

9月以降、YouTubeでいろんな人の手帳動画を見ていた。ほぼ日の開封動画なんていくら見ても飽きないし、手帳についての話ならいくらでも聞いてしまう。ほとんど毎日、BGM代わりにたくさんの人の手帳語りを聞いていたら、私も手帳について語りたくなってしまった。

 

早速、私が今使っている手帳とノートをまとめてみる。

 

  1. C. D. Notebook /横罫 (A5)
  2. ロルバーンダイアリー 2024 / フラワー チューリップ (M)
  3. ほぼ日 weeks 2024/ カラーズ/ スイートアップル
  4. ほぼ日 weeks 2024/「みてみて」
  5. ほぼ日カズン 2024
  6. ほぼ日 HON オリジナル 2024/ スラッシュ/ アイボリー
  7. 365デイズノート / 黒 / 方眼 (A5)
  8. ファイロファックス オリジナル / ミント (バイブル)
  9. Field Notes  / National Parks / Zion National Park

 

ほぼ日多いな。

高校生の頃にCampusノートで始めた日記が、20年でここまで増殖するとは。恐るべし。



 

それぞれ、書いている内容は以下の通り。

 

1. C. D. Notebook / 横罫 (A5)

日記用。

読書記録もオタクの叫びも愚痴もなんでも気が済むまで書いている。

歴代、そのときに使いたいノートを使っている。このC.D. Notebookは記念すべき20冊目の日記帳。

 

 

2. ロルバーンダイアリー 2024/ フラワー チューリップ (M)

毎日のTo Do List用。

次にやることをそっと教えてくれる頼もしい秘書。これがないと動けない。

仕事が忙しい時は Want To Do Listになる。

 

 

3. ほぼ日weeks 2024/ カラーズ スイートアップル

英語の勉強ログ。

しばらくさぼっても、何をどこから再開すればいいか教えてくれる。

ダーシェンカのカバーオンカバーに癒される。

 

 

4. ほぼ日weeks 2024/「みてみて」

英語日記用。

今年に入ってほぼ日カズンと書く内容がかぶり、挫折気味。ごめんよ・・。

 

 

5. ほぼ日 カズン 2024

日々の記録用。

元々、今年は毎日絵を描くぞ!と意気込んで始めたけど早々に挫折。

今はおいしかったごはんの記録とリスとシマリスの観察日記になった。絵はほとんど描いていない。

カバーは「おみやげ」。

 

 

6. ほぼ日 HON オリジナル 2024/ スラッシュ/ アイボリー

なんでもメモ用。

元々、今年から英語で文章を書く練習をするぞ!と始めて早々に挫折。

今はサイドテーブルに置きっぱなしにして、初めて聞いた単語、食べたいもの、やりたいこと、欲しい万年筆、献立プラン、などごちゃまぜに書いている。今いちばんのお気に入り。

 

 

7. 365 デイズノート/ 黒/方眼 (A5)

やりたいな、と思ったことをなんでも書くノート。

元々は英語で文章(以下省略)。

今は手帳会議、気になっている万年筆のリスト、書いてみたい記事、読んでみたい本、作ってみたい小物、などなど、やりたいことや欲しいものをひたすら書いている。欲望まみれの楽しいノート。

 

 

8. ファイロファックス オリジナル

1年ごとのリストをまとめるシステム手帳。

2024年に読んだ本リスト、2024年に見た映画リスト、など。1年に数ページずつしか増えないけれど、その年に楽しんだものを一覧で見れるので結構便利。

 

 

9. Field Notes

お薬手帳

唯一、必要に迫られて作った手帳。

日時、行った病院、診察してくれたドクターの名前、実施した検査、処方された薬、服用した期間、などを記録。

薬の服用は絶対に確認されるので、これがないと診察中にパニックになる。私の命綱。

 

 

こうして見ると、いろいろ計画しては挫折しているけれど、ノート自体は楽しく使えている。英語日記はせめて週に1回開くように、あと3ヶ月がんばろう。

2025年の手帳も準備万端。楽しみだなぁ。